この記事のポイント
- 「完全自律型」か「段階的自動化」か、エージェンティックコマースの定義を巡る業界の分断がIAB Connected Commerce 2026で表面化
- AIからのリファラルトラフィックは小売サイトの成長を促進しており、リテールメディアを脅かすどころか強化する兆候がある
- AIエージェントが「迷いの瞬間」を消すことで広告クリックの機会が縮小し、リテールメディアの収益モデル自体が変質する可能性がある
エージェンティックコマースの定義を巡る論争

Industry experts debate the definition of agentic commerce at IAB Connected Commerce.
www.emarketer.com「エージェンティックコマースの定義は、商品発見から価格交渉、チェックアウトまで、買い物プロセスの全体をあなたに代わって自律的に行うこと。人間の承認を必要とするものは、検索の進化にすぎない」。2026年4月のIAB Connected Commerceで、Bayerのリテールメディア・ペイドメディア担当シニアリードであるRyan Verklin氏はこう言い切りました。
Colosseum Strategyの創設者兼チーフアナリストAndrew Lipsman氏も同様の立場をとります。「AIアシストやAI検索で動くものすべてをエージェンティックと呼ぶのは違う。以前からAIはあった。エージェンティックは自律性のレベルで差別化されなければならない」とThe Drumへの寄稿でも繰り返し述べてきた見解を強調しています。
一方で、MolocoのScott Collins氏は異なる視座を提示しました。「エージェンティックの核心はアクションを起こすこと。複数のアクションの連続であっても、必ずしもすべてが一気通貫である必要はない。エージェンティックな行動にはスペクトラムがある」。この発言は、完全自律型だけをエージェンティックコマースと認めるVerklin氏やLipsman氏との明確な対立軸を形成しています。
言葉の問題に見えるかもしれません。しかし、EMARKETERのアナリストSarah Marzano氏が指摘したように、「私たちはリテーラーやブランドに、ある未来に備えるよう求めている」のです。その未来像が異なれば、準備すべき戦略も投資の方向性も変わります。定義が広い陣営ほど「自律購買がもうすぐ来る」と主張する傾向があり、定義が狭い陣営は「まだ遠い」と冷静に見ている。この認識の差が、業界全体の準備態勢にブレをもたらしています。
AIリファラルトラフィックがリテールメディアを「強化」している逆説
エージェンティックコマースの議論でしばしば語られる懸念は、AIアシスタントがリテールメディアの収益を奪うという脅威論です。しかし、IAB Connected Commerceで提示された初期データは、この想定と正反対の傾向を示していました。
SimilarWebのデータによると、AIプラットフォーム経由で小売サイトに流入した消費者は、平均的な訪問者と比べてサイト滞在時間が長く、閲覧ページ数も多く、コンバージョン率も高い傾向にあります。Marzano氏は「AIアシスタントからのリファラルトラフィックが、小売業者のウェブ資産をより多く閲覧し、より高い購買意欲を持っているなら、それはリテールメディアにとって良いことでしかない」と述べました。
Lipsman氏による上位15リテーラーの分析は、さらに興味深い結果を示しています。生成AIリファラルの割合が高いリテーラーほど、サイト全体のトラフィックが前年比で成長しているという正の相関関係が確認されたのです。「もしAIがトラフィックを奪っているなら、負の相関が見られるはず。実際にはその逆だった」とLipsman氏は指摘しました。
象徴的な事例として挙がったのがWalmartです。Marzano氏によると、ChatGPTからWalmartへのトラフィックの50%は純新規顧客だといいます。AIプラットフォームが既存トラフィックを奪うのではなく、リテーラーのリーチを拡張する役割を果たしている証左です。EMARKETERの推計では、2026年にAIプラットフォーム経由の米国EC売上は209億ドルに達し、前年比でほぼ4倍の成長が見込まれています。
「迷いの瞬間」が消える ── リテールメディアの収益モデルへの構造的影響
AIがリテールメディアのトラフィックを奪わないとしても、別の次元で深刻な変化が起きています。Collins氏の指摘は端的でした。「エージェントは迷いの瞬間を消す。そして、リテールメディアの広告クリックの多くは、その迷いの瞬間に発生している」。
従来の購買行動では、消費者が「ランニングシューズ」と検索した時点では、ジム用なのかマラソントレーニング用なのか、ブランドの好みがあるのかすらわかりません。この曖昧さの中で、消費者は複数の商品ページを閲覧し、スポンサード広告をクリックし、比較検討を重ねます。The Drumが報じたように、リテールメディアの収益モデルは本質的に「消費者の迷い」をマネタイズする構造でした。
AIエージェントはこの購買ジャーニーを圧縮します。会話を通じて意図を明確化し、ホバーや比較、カート放棄といった潜在シグナルを読み取り、最適な選択肢を絞り込む。9回の無駄なクリックと1回のコンバージョンクリックではなく、CPA(コスト・パー・アクション)型の課金モデルへの移行が現実味を帯びてきます。
ただし、これがリテールメディアの終焉を意味するわけではありません。IAB Connected Commerce 2026の議論では、リテーラーが自社の独自データを活用したオンサイトAIエージェントを構築することで、影響力を維持できるという見方も示されました。Collins氏は「膨大な購買データで訓練されたモデルを持つリテーラーには、消費者が戻ってくる理由がある」と語っています。
「定義なき前進」が生むリスクと実店舗の価値
定義が定まらないまま走り出すことのリスクは、投資判断の分散だけではありません。IABのカンファレンスでは、インターネットトラフィックの50%以上がすでに非人間によるものであるというデータが示され、機械が消費者に代わって行動する世界での信頼性構築という根本課題が浮上しました。
こうした不確実性の中で、改めて注目されたのが実店舗チャネルの価値です。Marzano氏は「ロングテールの多くはインストアをこれから始めるところだ。リテールメディアにとって、デジタルディスカバリー経路の脅威からはるかに影響を受けにくい巨大な成長余地がある」と述べています。Dollar GeneralのAI音声広告の展開やGrocery TVのインストアメディアなど、物理的な接点を持つリテールメディアネットワークが、デジタル上の不確実性に対するヘッジとして機能し始めています。
エージェンティックコマースの定義を巡る議論は、突き詰めれば「AIにどこまで任せるか」の線引きの問題です。そしてその線引きは、業種やカテゴリー、消費者の購買頻度によって異なるはずです。日用品の自動補充と高額家電の比較検討では、求められる自律性のレベルがまったく違います。一律の定義を求めること自体が、かえって議論を停滞させている側面もあるのかもしれません。
まとめ
IAB Connected Commerce 2026が明らかにしたのは、エージェンティックコマースという概念がすでにリテールメディアの構造を変え始めているにもかかわらず、業界が「それが何であるか」すら合意できていないという現実です。
完全自律型を本命と見る陣営と、段階的な自動化をスペクトラムとして捉える陣営。どちらの立場をとるかによって、戦略の優先順位は大きく変わります。ただし、両陣営が共有している認識もあります。AIリファラルトラフィックがリテールメディアを強化しているという初期データと、購買ジャーニーの圧縮がリテールメディアの広告モデルを変質させるという中期的リスクです。
2026年のAI経由EC売上209億ドルという数字は、2025年比でほぼ4倍。定義が定まらないまま市場が拡大するこの局面で、リテーラーやブランドに求められるのは、特定の定義に賭けることではなく、複数のシナリオに対応できる柔軟なインフラを整えることかもしれません。




