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2026年5月6日

米エージェンティックコマース、2030年に1兆ドルへ──ICSC・マッキンゼーが描く「店舗の再定義」

この記事のポイント

  1. ICSCとマッキンゼーが、米国B2C小売のエージェンティックコマース収益は2030年に1兆ドル規模に達すると試算
  2. 消費者の68%が直近3カ月でAIツールを買い物に活用し、AIは比較・検討フェーズの中心に移行
  3. 店舗は「利便性」か「体験」かの二極化を迫られ、上位10%の事業者が業界利益の85%を握る構図に

米エージェンティックコマース、2030年に1兆ドル──数字の出所と意味

2026年5月5日、Retail Diveが「米国のエージェンティックコマースは2030年までに1兆ドルの収益規模に達する可能性がある」と報じました。出典は同年4月27日に商業不動産業界団体のICSCとマッキンゼー・アンド・カンパニーが共同で発表したレポート、「Shopping in the Age of AI: Redefining Stores for a New Era」です。

この数字は単独の予測ではありません。マッキンゼー本体は、グローバルでは2030年までに3兆ドルから5兆ドルのエージェンティックコマース市場が立ち上がると試算しており、その米国B2C分が約1兆ドルという位置づけになります。算出のベースは、米国の消費者3,004人を対象とした調査と、小売・不動産業界のリーダーへのインタビューです。

注目すべきは、1兆ドルという数字が「AIエージェントが直接決済を完了する取引額」だけを指しているのではない点です。AIが比較や推奨を通じて購買意思決定に「影響」を与える領域までを含む、より広い概念として捉えられています。つまりエージェントが裏側で動く取引と、消費者がAIの助言に従って能動的に買う取引の両方が、この市場の中身です。

レポート発表のタイミングも見逃せません。2026年4月末という時期は、StripeとOpenAIが共同で「Agentic Commerce Protocol」を打ち出してからおよそ半年、Visaの「Intelligent Commerce」やMastercardの「Agent Pay」が相次いで本番展開に入った直後です。プロトコル整備が一段落したこのタイミングで「市場規模1兆ドル」という数字が示されたことには、業界に対する明確な投資シグナルとしての意味があります。

1兆ドルの内訳──どのカテゴリが牽引するか

レポートが描き出す消費者の姿は、すでに「AIネイティブ」に近づいています。直近3カ月の買い物でAIツールを使った人は68%、ブランド比較や価格・レビュー比較にAIを活用した人は62%。買い物の検討フェーズが、検索エンジンの結果ページからAIの応答画面へと、静かに移動しつつあります。

エージェンティックコマースが先に立ち上がる領域は、定型的で意思決定のコストが高い買い物です。日用品の補充、価格比較が容易な家電、パラメータが明確な保険や旅行手配などが代表例で、AIエージェントが代行することで消費者の体感負荷が大きく下がります。一方で、感性に依存するアパレルや高額のラグジュアリーは、エージェントの主戦場になりにくいと考えられています。

カテゴリ別の数字には別の調査も補助線になります。NIQが2026年初頭にまとめた「New Rules of Commerce」では、AIで商品レコメンドを得た消費者は17%、リピート購入の自動補充機能を使う層は19%、完全自律型のAIエージェントに発注を任せる層はまだ5%にとどまります。1兆ドル市場の主役は、当面は「自動補充」と「比較支援」の二本柱であり、完全自律のエージェントが本格的に伸びるのは2028年以降になりそうです。

「二極化のEC」へ──エージェント領域とフィジカル領域の役割分担

レポートのもうひとつの主張が、店舗の役割が消えるのではなく「変質する」というものです。

マッキンゼーのColleen Baum氏は、「AIが店舗をなくすのではなく、店舗に求められる水準を引き上げている」と指摘します。買い物動線の上流がAIに吸収される結果、店舗には「明確な役割」が必要になります。具体的には、スピードと確実性を提供する「利便性型」か、足を運ぶ価値を生む「発見・体験型」かのどちらかです。

レポートが3,004人に聞いた優先項目では、利便性型を望む消費者が37%。一方で、Z世代とミレニアル世代の40%超が「体験型小売」を支持しており、若年層ほど店舗に「来訪する理由」を求めています。物理店舗を持つEC事業者にとっては、ハイブリッドな施設運営ではなく、店舗ごとに役割を割り切る判断が必要です。

ICSC会長兼CEOのTom McGee氏は、AIが買い物体験を変えるなかで小売・商業不動産のリーダーは「ポートフォリオ内のすべての店舗が明確な戦略目的に整合しているか」を見直す必要があると述べます。マッキンゼーは、業界全体の経済利益のうち85%超を上位10%の事業者が獲得すると試算しており、勝者と敗者の差は今後5年で急速に開きます。

EC事業者が今取るべき準備の3チェック

ここまでの議論を踏まえて、日本のEC事業者が点検すべき項目を3つに絞ります。

第一に、商品データのエージェント対応です。AIエージェントが消費者の代わりに商品を比較するとき、参照するのは構造化されたカタログデータです。商品名、属性、在庫、価格、レビュー、配送条件が機械可読な形で揃っていなければ、エージェントの推奨候補に上がりません。ECプラットフォームのフィード設計と、商品ページのスキーママークアップの整備が、SEO以上に重要な投資テーマになります。

二つめが、リピートSKUの再設計です。NIQの調査で19%が自動補充を使い始めたという数字は、定期購買の市場を一気に広げる前兆です。日用品・消耗品を扱う事業者は、サブスクリプション機能だけでなく、配送頻度の柔軟な変更、休止再開のしやすさ、AIエージェントが在庫を読み取れる残量通知の仕組みまで踏み込む価値があります。

最後に体験再投資の判断です。アパレルや雑貨など、画像と試着体験が購入を決める領域では、店舗もECも「発見の場」としての価値を高める必要があります。商品ページの動画化、店舗のイベント化、ブランドコミュニティの常設化などが、この方向性に該当します。AIに代替されにくい買い物体験の輪郭を明確にしておくことが、二極化のEC時代では決定的な差になります。

参考になる先行事例も増えてきました。米国の小売チェーンThe Vitamin Shoppeはニューヨークに「AI Innovation Store」を開設し、店内で「Shoppe Advisor」と呼ばれるAIアシスタントが商品情報と在庫を即時に提示します。ブーツブランドのTecovasは、AIによる在庫補充と配置の最適化を導入し、人手で運用していた時期と比べて売上が9.6%伸びたと報告しています。これらは「店舗にAIを足す」ではなく、「AI前提で店舗を再設計する」アプローチであり、レポートが推奨する方向性と一致しています。

まとめ

ICSCとマッキンゼーが提示した1兆ドルという数字は、エージェンティックコマースが「研究開発フェーズの話題」から「事業計画に組み込むべき数字」へと移行したことを示しています。米国の消費者の3人に2人がすでにAIで買い物を始めている事実は、日本市場でも同じ波が時間差で来ることを意味します。

EC事業者にとって最も重要なのは、自社のビジネスがエージェント側に最適化された「上流」で勝つのか、店舗・体験という「下流」で勝つのかを早期に決めることです。両方を中途半端に追う事業者から先に脱落する、というのが今回のレポートが示す最大の警告と言えます。