この記事のポイント
- Tiger Researchが2026年4月27日に公開した『Payments 3.0』は、AIエージェント決済市場をAgentic Commerce(人間が代理を委ねる買い物)とPay-Per-Call(エージェント同士のAPI課金)の2市場に整理し、2025年だけで8本の標準プロトコルが発表された乱立状況を読み解いています
- カードネットワーク勢(Visa・Mastercard)はプロトコル戦争の勝敗に賭けず「どの規格でも自網を通す」中立戦略を取る一方、StripeはACP+SPTとMPP+Tempoで両市場をフルカバー、CoinbaseとCircleはステーブルコインを軸にPay-Per-Callの土台を奪取しに来ています
- 結論はシンプルで、Agentic Commerceは既存システムの延長で先に立ち上がり、Pay-Per-Callはマーケットが本当に開く瞬間まで勝者は決まらない──EC事業者・PSPは複線対応と外部委任型決済の運用設計を急ぐ局面です
プロトコル乱立がついに『戦争』と呼ばれ始めた

The agent payment standards war has begun. Google, OpenAI, Visa, Mastercard, Stripe, Coinbase, and Circle have each rolled out their own protocols.
reports.tiger-research.com韓国系リサーチハウスのTiger Researchが2026年4月27日、AIエージェント決済の現在地を体系化したレポート『Payments 3.0 The AI Agent Payments Market』を公開しました。レポートは冒頭で、2025年だけで8本のエージェント決済標準プロトコルが発表されたと指摘し、Visa・Mastercardがオフライン時代の決済標準を握ったように、いままさにAIエージェント時代の標準争奪戦が進行中だと整理しています。
注目すべきは、Tiger Researchがこの市場を2つに切り分けた点です。ひとつは人間が買い物をエージェントに委任するAgentic Commerce、もうひとつはエージェントが他のエージェントのAPI・データ・計算リソースに対して自律的に少額決済するPay-Per-Call。前者はすでに動き始めた近未来、後者はもう少し先に開く市場、という時間軸の違いがあり、各社の打ち手はそれぞれの市場でまったく違う形になっています。
Agentic Commerce──Discovery層とPayment層の取り合い
Agentic Commerceは、ユーザーが「来週の東京出張をお願い」とエージェントに指示し、予算内で航空券・ホテル・空港送迎・両替・旅行保険をまとめて代理購入させるような世界です。この市場は2つのレイヤーに分かれます。エージェントが商品を見つけるDiscovery層と、ユーザーの権限委任の範囲内で決済するPayment層です。
GoogleはこのDiscoveryとPaymentの両方を一気に取りに来ました。UCP(Universal Commerce Protocol)がエージェントとマーチャントの会話を標準化するDiscovery層、AP2(Agent Payments Protocol)が「誰がいくらまで承認したか」を改ざん不能なデジタル契約(Mandate)として記録するPayment層の権限標準です。GoogleにとってのAP2は、Android・Chrome・Google Payという既存の支配的網と地続きで、ユーザーがGoogle圏内で買い物を完結する道を作る投資にあたります。Tiger Researchは、Googleがやろうとしているのは2008年のAndroid戦略の再演──「標準を開いて生態系を取り、Play StoreとGoogle Payで回収する」モデルだと指摘しています。
OpenAIの立ち位置はこれと対照的です。Stripeと共同開発したACP(Agentic Commerce Protocol)は、ユーザーのカード情報をエージェントに直接渡さず、PSPが発行する単発トークン(Delegate Payment)でリスクを限定する設計が骨子です。ただし、2025年9月にローンチしたChatGPT内Instant Checkoutは、在庫同期・税処理・コンバージョンの問題が露呈し、2026年3月に縮小。決済機能をマーチャント側に戻し、ChatGPTの役割を商品Discoveryに絞り込みました。これは退却ではなく再調整で、買収したHiro Financeで決済基盤を作り直したうえで再投入する想定だと分析されています。詳しくは弊誌のBTIGアナリスト分析も参照ください。
ここで重要なのは、OpenAIにはGoogleのような『他で時間を稼ぐ余裕』がないことです。広告・クラウドという別ピラーを持たないOpenAIは、ChatGPTがショッピングの起点になれるかどうかという一点に賭けています。
カードネットワーク勢の『中立戦略』はなぜ強いのか
VisaとMastercardの動きは、プロトコル戦争の本質を逆照射しています。両社とも独自プロトコルで勝つことを目指していません。
Visaは2025年4月に発表したVisa Intelligent Commerceのなかに「Intelligent Commerce Connect」を組み込み、競合プロトコルを受け入れる構造にしました。OpenAI・Anthropic・Perplexityといった買い手側プラットフォームと、ShopifyやStripeといった売り手側のどちらにも繋がっています。Tiger Researchの整理が鋭いのは、ここを「プロトコル戦争はゼロサムだが、Visaは勝者にも敗者にも手数料を取る側に立てる」と表現した点です。48億枚のカードと1.5億の加盟店を持つVisaだからこそ取れる中立戦略であり、これは譲歩ではなく最も有利なポジションだ、というのがレポートの読みです。
Mastercardも同じゲームをしながら、戦線を一本に絞っているところが違います。Mastercard Agent PayはCloudflareと組んで、加盟店がコードを1行も書き加えずにエージェント決済を受け入れられるアーキテクチャを採りました。マーチャント側の入り口で「信頼できるエージェントか、悪意あるボットか」を自動振り分けし、通過した取引は自動的にMastercard網を通る。Visaがステーブルコイン対応(Bridge買収・Tempoバリデータ参加)に戦線を広げているのに対し、Mastercardはまだ加盟店受容レイヤーに集中できる利点があります。
ただし両社にも変数があります。エージェント同士の決済がステーブルコインで直接オンチェーン決済される世界が来た瞬間、カード網は飛ばされるからです。Visaが先に動いたのは、この変数の重みを認識しているからにほかなりません。
Stripeのフルカバレッジ──プロトコルを開いて、レールを閉じる
Stripeの戦略は、Tiger Researchのレポートのなかでもっとも野心的に描かれています。StripeはAgentic CommerceにもPay-Per-Callにも自前の標準を埋め込んだ唯一のプレーヤーです。
Agentic Commerce側では、OpenAIと共同でACPを開いた一方で、自社独自の決済プリミティブSPT(Shared Payment Token)を投入しました。マーチャントがSPTを採用した瞬間、Stripeの周辺サービス(不正検知・税処理・サブスクリプション管理)が束で連鎖的に紐づきます。Pay-Per-Call側では、2026年3月18日のTempoメインネット稼働に合わせてMPP(Machine Payments Protocol)を公開しました。MPPがx402と決定的に違うのは2点で、ひとつは決済方式の中立性──ステーブルコインだけでなくカードもLightningも同じプロトコルに載せられる構造、もうひとつはSessionサポート──オンチェーン書き込みを最初と最後の2回だけにし、途中のN回はオフチェーンのバウチャー交換で処理することで毎秒100万件超のスループットを目標値に置いた設計です。
レポートで象徴的に描かれているのは、VisaがMPPに『カードレール拡張パートナー』として参加した事実です。Visaは元々独自のTrusted Agent Protocolで自前生態系を作ろうとしていましたが、MPPローンチを機にカードレールを他陣営標準のなかへ埋め込む側に回りました。Cuy Sheffield氏(Visa Head of Crypto)は『MPPはエージェントとマーチャントの会話を明確に定義する別の方法だ』とコメントしています。
ただしStripeにも明確な弱点があります。今のところ収益基盤はカード網(Visa・Mastercard)の上に乗っており、『高速道路を持つVisa・Mastercardの上で最大の物流会社』という比喩が言い得て妙です。OpenAIとの関係も永続ではなく、ChatGPTが他PSPと組む可能性、ACPがオープン規格ゆえにAdyenやWorldpayが互換トークンを出してくる可能性は残ります。
Pay-Per-Callの主役は暗号系──CoinbaseとCircleの違い
Pay-Per-Call市場は、エージェントが他のエージェントのAPI・データ・GPU時間に対して、$0.01や$0.005という単位で支払う世界です。カード網の固定手数料($0.30+2.9%)ではそもそも成立しないユニットエコノミクスのため、ここではステーブルコインが主役になります。
Coinbaseは2025年5月にx402プロトコルを公開し、HTTPの『402 Payment Required』ステータスコードを実用化しました。エージェントがAPIを呼び出すと、サーバーは価格・受取アドレス・資産・ネットワーク情報を含む402で応答し、エージェントが自分のウォレットで署名して再リクエストする──支払いそのものが認証として機能する仕組みです。Coinbaseの収益はx402自体ではなく、標準が走るインフラ(Base L2とCoinbase Developer Platform)から取りに行く設計で、Tiger ResearchはこれをGoogleのAndroidモデルになぞらえています。
Circleの戦略はさらに一段下のレイヤーで戦っています。USDCの発行権を握っている唯一のフルスタック陣営として、決済プリミティブ(Nanopayments)・決済チェーン(Arc)・ウォレット(Developer-Controlled Wallets)を縦統合しました。Tempo上で動くUSDCもCircleが発行しており、TempoがどれだけStripe色に染まろうと、USDC流通量が増えれば準備金利息収入がCircleに還流します。2025年通期の総収益・準備金収入は27億ドルで、その95%以上がこの利息収入です。誰がチェーン戦争に勝っても、ステーブルコイン決済が伸びるだけでCircleの売上が伸びる仕組みは、構造的に強力です。
EthereumとKite AIは、もう一段違う角度から市場を狙っています。Ethereum FoundationのERC-8004は『決済ではなく信頼レイヤー』を標準化する打ち手で、エージェントの身元・評判・検証結果をオンチェーンに記録します。x402であろうとMPPであろうと、決済の証拠はERC-8004環境に積み上がる、というのが狙いです。Kite AIは逆に、AIエージェント専用にゼロからチェーン・ID・セッション・評判をワンスタックで設計し、PayPalとCoinbase Venturesの両方から出資を受けています。
プロトコル比較──各陣営はどこを取りに行っているのか
ここまでの整理を1枚にまとめると、各社のポジショニングがはっきり見えてきます。
| プロトコル/陣営 | 提供元 | 対象市場 | 差別化ポイント |
|---|---|---|---|
| UCP / AP2 | Agentic Commerce(Discovery+Payment) | AI Mode・Android・Google Payの既存網に標準を載せ、両層を一気に押さえる | |
| ACP | OpenAI(Stripe共同) | Agentic Commerce(Discovery寄り) | ChatGPTを買い物の起点に、決済はマーチャント側に戻す再調整路線 |
| Intelligent Commerce | Visa | Agentic Commerce(決済中立) | 他陣営プロトコルも受け入れ、どの規格でもVisa網を通す『フィー両取り』 |
| Agent Pay | Mastercard | Agentic Commerce(マーチャント受容) | Cloudflare連携で加盟店がコード追加なしにエージェント決済を受け入れ可能 |
| ACP+SPT / MPP+Tempo | Stripe | 両市場(カード+ステーブルコイン) | プロトコルを開き、決済とチェーンの両方をStripe基盤に引き込むフルカバレッジ |
| x402 | Coinbase | Pay-Per-Call | HTTP 402を本物の決済層に。BaseとCDPでインフラ収益を取りに行く |
| USDC / Arc / Nanopayments | Circle | Pay-Per-Call(資産レイヤー) | 発行・チェーン・ウォレットを縦統合、誰が勝ってもUSDC需要が伸びる構造 |
| ERC-8004 | Ethereum Foundation | 両市場の信頼レイヤー | 決済そのものではなくエージェントID・評判を標準化、EVM圏のデファクト化を狙う |
ポイントは、勝負の場所が層ごとに違うことです。Discovery(誰が買い物の起点になるか)はGoogle対OpenAI、Payment Authority(誰が承認の標準を取るか)はGoogle AP2対OpenAI ACP、Settlement(実際に資金が流れる場所)はカード網対ステーブルコイン、Trust(取引の証拠)はEthereum ERC-8004がリードしています。標準戦争はひとつの戦場ではなく、レイヤー別に並行する複数の戦場の集合として捉えるのが正しい見立てです。
Tiger Researchの結論──Agentic Commerceが先、Pay-Per-Callは後
レポートの結びは明快です。Agentic Commerceはほぼ確実に立ち上がる。問題は『この市場が開くか』ではなく『誰が獲るか』だけ──と言い切っています。Walmart・Etsy・ShopifyがGoogleとOpenAIのパートナーに揃って入り、決済網と大企業も後ろに付いた以上、市場成立の不確実性はもう低い段階に来ています。
一方でPay-Per-Callは話が違います。OpenAI・Anthropic・AWSのAPIはすでに月次サブスクリプションや使用量ベースの後払いで動いており、エージェントがAPIを呼んでもプラットフォーム側がカード請求にまとめれば、企業の経理から見れば従来のSaaS課金と機能的に変わりません。x402やMPPがほんとうに必要になるのは、エージェントが事前契約のない不特定多数のプロバイダから、毎秒数十回・1取引$0.001未満のスケールでリソースを買いに行く世界です。これは既存のサブスク構造では絶対にさばけない領域に踏み込んだ瞬間に、はじめて成立条件が揃います。
つまりPay-Per-Callの勝者は、エージェントへの信頼と自律性がAgentic Commerceを通じて積み上がってからしか確定しません。Agentic Commerceの勝者はすでに走り出しているが、Pay-Per-Callの勝者は市場が開いた瞬間に決まる──これがTiger Researchの最終的な視座です。
EC事業者・PSPがいま手当てすべきこと
EC事業者・決済戦略担当への示唆は3点に絞れます。
第一に、Agentic CommerceはUCP・ACP両陣営対応の複線戦略が事実上の必須要件になりつつあります。GoogleのUCP評議会には先週Amazon・Meta・Microsoftが参加し(詳細は弊誌記事)、OpenAIのACPはInstant Checkout縮小で発見側に重心を寄せました。両仕様の思想は意外なほど近づいており、どちらか一方だけに賭ける合理性は失われつつあります。
第二に、PSPの選定基準を見直すタイミングです。VisaのIntelligent Commerce ConnectとMastercardのAgent Payはどちらも『プロトコル中立』を打ち出していますが、StripeのSPT/MPP・CheckoutのAgentic Commerce対応・Adyenの動きを含め、PSPごとに取り込まれる規格と運用の摩擦点が違います。エージェント経由のトークン化・3DS・ディスピュート対応・ロイヤリティ連携をどう担保するかは、料率比較を超えた選定軸です。
第三に、Pay-Per-Call市場をいま追う必要性は業態によってかなり差がつきます。LLM API・データAPI・計算リソースを売る側にとって、x402やMPPの初期実装で先行することは将来のシェアに直結しますが、消費者向けECにとっては今期の課題ではありません。Circleが押さえているUSDC発行権の構造的優位は、決済の主流がステーブルコインにシフトする日が来た場合の保険として、観察対象に含めておく価値があります。
まとめ
Tiger Researchの『Payments 3.0』は、AIエージェント決済の議論を『未来の話』から『今期の意思決定マター』に引き戻す整理を提供しています。Agentic CommerceとPay-Per-Callの2市場区分、カードネットワーク勢の中立戦略の合理性、Stripeのフルカバレッジ、CoinbaseとCircleがレイヤー違いで狙う構造、Ethereumが信頼層を取りに来る別軸──どれも、いま戦線図を描き直すうえで欠かせない補助線です。
EC事業者・PSPにとっての現実解は、片方の陣営に旗を立てることではなく、カタログ・決済・Identity・トラストの各レイヤーで、複数の標準が並走しても自然に回るオペレーションを整えることに尽きます。標準は決まってから対応していては遅く、決まる前のテストネット段階で慣らしておくほうが、AIエージェントが消費者の財布を本格的に預かる時代の競争優位を左右します。




