2026年5月20日

VisaがAPAC10カ国でAgentic Readyプログラム本格始動──50社超のイシュアーが参加、実装フェーズへ移行

この記事のポイント

  1. Visaがアジア太平洋10カ国でAgentic Readyプログラムを本格始動し、SMBC・MUFG Nicos・楽天カード・DBS・UOB・OCBCなど50社超のイシュアーが初期パートナーとして参加
  2. APACのエージェンティックコマースは概念実証から実装フェーズへ移行。マレーシア・シンガポール・日本・韓国・台湾・タイ・ベトナム等で本番準拠の検証環境が稼働
  3. Visa Intelligent Commerceの基盤(トークン化・Trusted Agent Protocol・パスキー)がイシュアー側で先行整備され、EC事業者は加盟店側統合のタイムラインを再設定する必要に迫られる

Visa Agentic Readyが10カ国で同時稼働へ

Visaは2026年4月30日、エージェンティックコマース対応プログラム「Visa Agentic Ready」のアジア太平洋地域における本格展開を発表しました。対象はオーストラリア、香港、日本、マレーシア、ニュージーランド、シンガポール、韓国、台湾、タイ、ベトナムの10市場。初期パートナーとして50社を超える銀行・カード会社・フィンテックが名を連ねており、APACのエージェンティックコマースが「議論」から「実装」へと舵を切った象徴的な発表となります。

プログラムの第1フェーズはイシュアー(カード発行体)レディネスに焦点を当てています。AIエージェントが消費者に代わって決済を開始・完了するシナリオを、本番相当の管理環境でテスト・検証できる仕組みを提供。Visaが従来から強調してきた「ネットワークの信頼・統制・保護」を維持したまま、エージェント起点取引に必要な対応を段階的に積み上げていく構造です。

アジア太平洋は世界で最もダイナミックでデジタル先進的な決済地域の一つであり、エージェンティックコマースを概念から現実へと持ち込む理想的な環境です。これが真にスケールするのは、決済エコシステム全体が一体となって前進したときです。

APAC各市場の参加状況と日本勢の動き

APAC10市場の主要参加企業を見ていくと、各国の決済勢力図がほぼそのまま反映されています。シンガポールではDBS、OCBC、UOB、Trust Bank、GXS Bank、StraitsXなど13社が初期パートナーとして登録され、マレーシアではAlliance Bank、CIMB Bank、Hong Leong Bank、Maybankが、オーストラリアではANZ、National Australia Bank、Bank of Melbourneなど、香港ではHang Seng Bank、ZA Bank、Bank of China(HK)、HSBC(HK)が参加しています。

日本市場からは三井住友カード、三菱UFJニコス、楽天カード、クレディセゾン、SBペイメントサービスといった主要プレイヤーが初期パートナーに揃いました。日本のクレジットカード市場で大きなシェアを持つ企業群が同じプログラムに揃って参加した意味は大きく、エージェント起点取引への対応が「実験」から「業界標準対応」のフェーズに入りつつあることを示しています。

ベトナムからはMB Bank、Sacombank、Techcombank、VPBank、ACBが、タイからはKBank、KTC、AEON Thana Sinsap、ttbが、台湾からは台新銀行、CTBC、Cathay United、E.SUNなどが参加。さらに韓国ではKakaoBank、KB Kookmin Card、Hyundai Card、Samsung Card、Shinhan Card、Hana Cardといったカード大手が顔を揃えています。

なぜ「イシュアーレディネス」が起点なのか

エージェンティックコマースを技術的に成立させるには、いくつもの層で実装が必要です。Visaが第1フェーズでイシュアーから始めた理由を構成要素から整理すると、構造が見えてきます。

まずトークン化です。Visaは従来のカード番号ではなく、エージェント専用の決済トークンを発行する仕組みを構築しています。これにより、AIエージェントが決済を呼び出した場合にスコープ(利用範囲・上限・期間)を細かく制御でき、万一トークンが漏洩しても被害が局所化されます。トークンを発行・管理するのはイシュアーであり、そのトークン基盤が整わなければエージェント取引そのものが成立しません。

次にアイデンティティとリスク管理です。Visaが2025年に発表したTrusted Agent Protocolは、AIエージェントが加盟店に対して暗号学的に身元を証明する仕組みですが、最終的な与信判断・本人認証はイシュアー側のシステムで実行されます。Visa Intelligent Commerceのアーキテクチャでは、エージェントがまずTrusted Agent Protocolで加盟店に身元を提示し、その後イシュアー発行のトークンとパスキー認証で決済承認を取得する流れになっています。この承認ロジックを各国のイシュアーが実装・検証することが、スケールの前提条件です。

そして紛争・チャージバック対応。AIエージェントが代理で購入した取引について、後から「意図していない購入だった」と消費者が主張した場合の責任分担をイシュアーがどう処理するか、ここを本番環境で詰めておかなければ、エージェンティック取引は怖くて広げられません。Visa Agentic Readyはこの紛争処理のシナリオも含めて検証する仕組みを提供しています。

VisaとMastercardの戦略の違い

Visa Agentic Readyの本格展開を読み解く上で外せないのが、ライバルMastercardとの比較です。両社のアーキテクチャは似ているようで、エージェント識別のレイヤーで思想が分かれています。

観点Visa Intelligent CommerceMastercard Agent Pay
エージェント識別Trusted Agent Protocol(HTTP署名層)Agentic Tokens(クレデンシャル層)
APAC本格展開2026年4月(10カ国・50社超)市場別ロールアウト中
イシュアー参加SMBC、MUFG Nicos、楽天カード、DBS、UOB等段階的ロールアウト
技術基盤トークン化・パスキー認証・スコープ付き決済Verifiable Intent・Mandate
相互運用性Google AP2 Mandateを受け入れる方向AP2 Mandate受け入れ済み

VisaのTrusted Agent ProtocolはHTTPメッセージ署名標準(Web Bot Auth)の上に構築されており、加盟店がエージェントを識別するレイヤーをネットワーク非依存で標準化する狙いがあります。一方Mastercard Agent Payは、Agentic TokensとVerifiable Intentというクレデンシャル層でエージェントの正当性を保証する設計で、2025年11月には米国の全Mastercard保有者向けに展開を完了しています。

興味深いのは、両者がGoogleのAgent Payments Protocol(AP2)との相互運用性で歩み寄りつつある点です。2026年4月時点でPSPはAP2 MandateをミントできMastercardネットワークはこれをVerifiable Intentとして受け入れます。Visa側も同様の方向で動いており、ネットワーク間の分断ではなく共通の「意図検証」レイヤーへの収束が進行しています。

EC事業者から見れば、VisaとMastercardのどちらか一方に対応するのではなく、両ネットワーク+AP2の三層が共存する世界に備える必要があるということです。

APAC市場特有の構造的要因

APACでVisaが10カ国同時展開に踏み切った背景には、地域特有の事情があります。

第一に消費者のAI受容度の高さです。Deloitte Asia Pacificの2026年調査では、APAC消費者の74%が商品の発見・追跡・学習にAIツールを利用していると回答。一方で実際の購買決定にAIを使うことへの意欲は市場間で大きく分かれ、インドとベトナムで42%が前向きである一方、シンガポールと日本では14%、ニュージーランドで16%にとどまります。市場ごとの受容度の幅広さは、Visaが10カ国を同時に巻き込んでデータを蓄積する戦略的理由になっています。

第二にイシュアー側のレディネスギャップ問題です。本サイトでも5月18日の記事で紹介した通り、ニュージーランドではVisa NZのDavid Peacock氏が「銀行は準備完了、加盟店は遅延」というギャップ構造を指摘していました。今回のAPAC本格展開はそのギャップ解消に向けた次のアクションであり、まずイシュアー側で50社超を巻き込んで足場を固め、その後加盟店・エコシステム拡張へと進めていく段階的アプローチが明確になっています。

第三に競合プレッシャーです。Visaは2026年4月29日にAgentic Readyのグローバル拡張を別途発表しており、北米・中南米・EMEAでも並行展開中です。MastercardのAgent Payはすでに米国で全展開が完了しているため、VisaとしてもAPACで遅れを取れない事情があります。

EC事業者が今すぐ準備すべきこと

イシュアー側で50社超がVisa Agentic Readyに参加した今、APACのEC事業者にとっては「いつ加盟店側の対応が必要になるか」というタイムラインが現実的な問題になります。

  • 自社が取引する決済代行・PSPがVisa Intelligent Commerce対応のロードマップを持っているかを確認する
  • 商品カタログをマシンリーダブルな構造化データに整備し、AIエージェントが価格・在庫・属性を機械的に取得できる状態を準備する
  • AIエージェント経由の取引を識別する「エージェント取引フラグ」を決済ゲートウェイと不正検知ロジックに組み込めるか検討する
  • カスタマーサポートと法務にAIエージェント代理購入時のチャージバック・返品シナリオを共有し、対応フローを設計する
  • 利用規約と同意フローを見直し、AIエージェントによる代理購入の許可範囲・上限・除外カテゴリを明示できる構造にする

特に重要なのは、決済パートナー選定の視点です。Visa Agentic Readyに参加しているイシュアーは、自社のオンラインアクワイアリング部門や提携PSP経由で加盟店向けエージェント対応ソリューションを展開してくる可能性が高く、その動きを早期にキャッチアップした事業者は競合より先にエージェント経由の流入を取り込めます。逆に対応が遅れた事業者は、AIエージェントの選定候補から外れるという形で機会損失が発生します。

まとめ

Visa Agentic ReadyのAPAC10カ国・50社超での同時展開は、エージェンティックコマースが「先進的事業者の実験テーマ」から「決済業界全体の標準対応」へとフェーズを変えたことを示す重要なマイルストーンです。日本市場でも三井住友カード・三菱UFJニコス・楽天カードという大手3社が初期パートナーに揃い、業界対応のスピードは想定以上に速まっています。

EC事業者の視点では、決済ネットワーク・イシュアー側でインフラが整い始めた今こそ、商品データのマシンリーダブル化、AIエージェント取引対応の決済設定、紛争処理フローの整備という3つの加盟店側宿題に着手するタイミングです。VisaとMastercardの両ネットワークがAPACで動き出した以上、対応の遅れはそのまま選定候補からの排除につながります。エージェンティックコマースは2026年下半期に向けて、実装の波が一気に押し寄せる局面に入ったと見るべきでしょう。