ExpediaのExplore 2026に見るAIコマース戦略──「計画はAI、予約はブランド」の信頼ギャップとB2Aへの布石
Expedia Groupが年次会議Explore 2026で示したAI戦略を読み解きます。旅行者の68%が予約で信頼ブランドを選ぶという調査、コンテンツの機械可読性、B2Aと流通基盤化が小売・EC事業者に示す論点を整理します。
この記事のポイント
- Expedia Groupが2026年5月の年次パートナー会議Explore 2026で、AIを成長エンジンと位置づけ、Partner Centralの3エージェント、B2B向けAIツールキット構想、AIエージェント向け発見「B2A」への対応を打ち出しました
- 同社の調査では旅行者の68%が予約でAIチャットボットより信頼できるブランドを選ぶと回答しており、発見はAIへ移り決済はまだ移っていないというAIコマースの現在地を、マーケットプレイス自身が数字で確かめた点が重要です
- 商品コンテンツの機械可読性がAIに発見される条件になったこと、そして発見と決済の非対称を前提にチャネルと信頼の設計を組み立てることが、小売・EC事業者への示唆です
30年目のマーケットプレイスがAIを土台に据え直した

Expedia Group Explore 2026 shows AI reshaping travel industry workflows, boosting bookings, marketing, operations and partner performance globally.
www.travelandtourworld.comExpedia Groupは2026年5月19日から20日にかけて、ラスベガスで年次パートナー会議「Explore 2026」を開催しました。1,000社を超えるパートナーから2,000人以上が集まり、創業30年の節目にあたる場で同社が掲げたのは、AIはもう実験段階の技術ではなく成長エンジンだというメッセージです。旅のひらめきから計画、予約、運用、トラブル対応、マーケティングまで、AIを個別機能の追加ではなく事業の土台として組み込み直す方針が示されました。
この記事では、この発表を旅行業界の話題としてではなく、AIコマースの事例として読み解きます。AIコマースとは、生成AIや対話型エージェントが商品の発見から購入までに入り込む販売の形を指します。そのうちAIエージェントが利用者に代わって比較や手続きを進める段階は、エージェンティックコマースと呼ばれます。Expediaはホテルや航空券を扱うOTA(オンライン旅行代理店)ですが、事業の本質は在庫を集めて需要とつなぐマーケットプレイスです。
だからこそ、この会議は小売・ECの読者にとって示唆に富みます。検索の入口がChatGPTやGoogleのAIへ移れば、仲介者であるOTAは真っ先に中抜きの圧力を受けます。モール型ECや価格比較サイトと構造的に同じ椅子に座る事業者が、その圧力にどう答えたのか。Explore 2026は、その回答を信頼・発見・流通の三つの面から並べて見せた場でした。
「計画はAI、予約は信頼できるブランド」を数字で確かめた
戦略の土台に置かれたのは、派手なデモではなく一つの調査です。Expediaは会議に先立つ2026年4月14日、「AIトラストギャップ」と題した調査結果を公表しました。米国・英国・インドの成人5,700人超を対象に、調査会社YouGovが2026年3月に実施したものです。
計画段階でのAI受容は着実に進んでいます。AIによる旅行先の提案に抵抗がない人は53%、価格監視への利用は42%、行程づくりへの利用は40%に達しました。ところが予約になると景色が一変します。68%が予約ではAIチャットボットより信頼できる旅行ブランドを選ぶと答え、66%はAIに代理予約させること自体を信用しないと回答しました。AI経由の予約に抵抗がないと答えた人は、わずか8%です。
不安の中身も具体的に測られています。コントロールを失うことへの懸念が57%、決済やデータのプライバシーが57%、個人情報の悪用が56%、問題発生時のサポート不足が40%と続きました。技術の精度ではなく、委任の条件が問われていることが分かります。
旅行者はAIに技術的な問題を感じているのではない。信頼の問題を感じているのだ。
CEOのAriane Gorin氏も、会議のパートナー向け総括で「この局面で問われるのは、より賢くなることだけでなく、より信頼されることだ」と述べています。この数字が示すのは、発見と決済ではAIへの移行速度がまったく違うという事実です。AIコマース全体でも発見と決済の分断は共通の構造であり、旅行のように高額で後戻りしにくい買い物ほど溝は深くなります。裏を返せば、決済と購入後対応の説明責任を引き受けられるブランドには、AI時代でも明確な役割が残ります。Expediaはこの溝を脅威としてではなく、自社の立ち位置として戦略に織り込みました。
コンテンツが「AIに読まれる商品データ」に変わった
パートナー向け発表の軸になったのは、管理画面Partner Centralに組み込まれる3つのAIエージェントです。最高プロダクト責任者のShilpa Ranganathan氏が基調講演で紹介しました。パフォーマンスの問題や商機を検知するPartner Companion、掲載情報の欠落を見つけて補うContent Agent、信頼できる情報源から掲載内容を事前入力して新規登録を速めるAutonomous Distributionという構成です。運用のボトルネックを人手ではなくエージェントが先回りして潰す、という設計思想で貫かれています。
AIコマースの観点で特に重要なのはContent Agentです。写真、設備、周辺情報、ポリシーといった掲載コンテンツは、これまで人間の予約判断を支える材料でした。これからは、AIがどの選択肢を推薦すべきかを判断する材料にもなります。構造化されず欠落のあるコンテンツを持つ商品は、人間からの信頼とAIからの発見可能性を同時に失うことになります。
Expediaはこの変化をB2A(business-to-agent)という言葉で名指ししました。従来のSEOが人間の検索に向けた最適化だったのに対し、これからは計画や購買が実際に起きるAIの画面に自社の在庫が現れるかどうかが問われる、という整理です。同社はOpenAI Adsとの連携、MetaとのTrip Matching、Travel Media Networkの拡充もあわせて発表し、AI面での発見可能性を広告と配信の両面から確保しにいっています。
物販ECに引き寄せれば、これは商品データの整備という課題にそのまま重なります。商品名や属性、在庫、価格、レビューが機械可読な形で整っているか。その品質が、AIの推薦候補に入れるかどうかを左右します。コンテンツはマーケティングの一要素ではなく、AI経由の売上を支える商品データそのものになりました。
在庫を外部AIチャネルへ運ぶ側に回る
もう一つの柱は、B2B事業の基盤化です。Expedia Group B2Bの発表によれば、同社はすでに75,000のパートナーと200,000の旅行アドバイザーにサービスを提供し、プラットフォームは1日210億回のAPIコールを処理しています。この基盤の上で同社は、開発中のAIツールキットを披露しました。数か月以内に一部パートナーへの提供を始め、API、画面、エージェントワークフローを通じて、Expediaの機能をパートナーのAI体験へ接続しやすくするものです。中核のIntelligent Experience Platformは、ブランド独自の旅行体験を組み立てるための「組み合わせ可能な」AI部品群と説明されています。
B2B部門プレジデントのAlfonso Paredes氏は「一つの接続で、パートナーはより完全な旅行体験を、より少ない複雑さで構築できる」と述べました。狙いは、銀行や小売、ロイヤルティプログラム、フィンテックといった旅行を本業としない事業者が、自社の顧客体験へ旅行を埋め込む「埋め込み型旅行」の裾野拡大です。地上交通のCarTrawler買収合意(2026年後半の完了見込み)と、先行するTiqets買収(2025年12月発表)は、宿泊中心だったRapid APIを車・航空券・アクティビティ・旅行保険まで広げる布石にあたります。
AIと外部システムをつなぐ接続仕様であるMCP(Model Context Protocol)についても動きはありますが、現在地は正確に見る必要があります。会議で示されたのは、ドキュメント参照・統合テスト・トラブルシュートを支援する開発者向けのDev MCPサーバーと、Expediaの機能をパートナーのAIアシスタントへ組み込むためのMCP等の基盤展示です。外部のAIエージェントがMCP経由でExpediaの在庫を自律的に予約・決済できる段階だという発表は確認できません。ツールキット自体も開発中であり、接続標準への対応がどこまで広がるかは今後の検証課題です。標準の全体像はMCP・A2A・UCPの整理を参照してください。
それでも方向性は明確です。発見の入口が自社サイトからAIへ分散するなら、どの入口が勝っても自社の在庫が流れる供給側に回る。自社アプリではトラブル対応のVirtual Agentや比較支援のAI Compareなど旅行者向けAIで直販体験を磨きつつ、外部に対しては在庫と機能を開いていく。壁に囲まれた庭と開かれた庭の二正面を、マーケットプレイスの立場から同時に進める構えです。
小売・EC事業者が持ち帰る示唆
Expediaの構えを自社の事業に引き寄せると、論点は三つに絞れます。
まず、AIに発見される条件の整備です。B2Aという言葉が示すとおり、商品コンテンツの品質と構造化は、人間向けの見栄えの問題ではなく、AI経由の販路に載れるかどうかの問題になりました。属性の欠落や表記の揺れは、そのまま推薦候補からの脱落につながります。この整備は外部AIだけでなく、自社でAI接客を実装する際の土台にもなります。
次に、信頼ギャップを前提にした導線設計です。利用者は発見や比較をAIに任せ始めても、決済の委任にはまだ慎重です。完全自律の購買体験を急ぐより、AIで発見され、購入と購入後対応は信頼できるチャネルで確実に担う構成が当面の現実解になります。トラブル時に誰が責任を持つのかを見せることが、そのまま転換率を左右します。
最後に、プラットフォームとの関係の見直しです。マーケットプレイスは、エージェント時代の供給基盤へと姿を変えようとしています。自社の商品がどのプラットフォームを経由してAIチャネルへ届くのか、その際の手数料、顧客接点、データの所有はどうなるのか。基盤化が進むほど、この条件の見極めが事業の分かれ目になります。
まとめ
Explore 2026でExpediaが見せたのは、AIへの防戦ではなく、仲介者としての立ち位置の掛け直しでした。信頼ギャップの数字で予約がまだブランドに残ることを確かめ、コンテンツの機械可読性をパートナーの収益条件に据え、在庫と機能を外部AIチャネルへ運ぶ基盤づくりを進める。発見と決済が非対称に動くいまのAIコマースで、マーケットプレイスが取りうる打ち手を一通り示した事例といえます。小売・EC事業者にとっての要点は、AIに読まれる商品データと、信頼を担保する顧客接点の二つをどちらも手放さないことです。予約や購入という最後の一歩がAIへ移り始めたとき、その移行を自社の条件で受け止められるかが問われます。



