この記事のポイント
- HSBCがMastercard・Juspayと組み、シンガポールで法人間(B2B)のエージェンティック決済を実証した
- 法人バイヤー、SourceSage、FortyTwoを結ぶ取引でAIエージェントが発注から決済までを自律実行した
- 注目の中心だった消費者向けに続き、承認・与信・請求が絡むB2Bが次の主戦場として浮上している
HSBCがシンガポールでB2Bエージェンティック決済を実証

The pilot comes as HSBC and Google Cloud expect ASEAN digital commerce transaction volume to grow from US$175 billion in 2025 to US$580 billion by 2030.
fintechnews.sgHSBCは2026年5月29日、シンガポールで法人間取引のエージェンティック決済を試験運用したと発表しました。AIエージェントが購買と決済を自動で処理する、B2Bでの一連の実証です。技術パートナーにはMastercardとJuspayが名を連ねています。
今回の取引は、ある多国籍企業の法人バイヤーを起点としています。調達プラットフォームのSourceSageと、家具・ホーム用品のEC事業者であるFortyTwoを結ぶ取引フローのなかで、デジタルエージェントが発注から決済までを一貫して実行しました。HSBCはこの実証を、管理・透明性・リスク制御を最初から組み込んだエンドツーエンドの取引と位置づけています。
この試験運用は、B2B取引が当初から管理・透明性・リスク制御を備えた形で、エンドツーエンドで実行できることを示しています
消費者向けのエージェンティックコマースが大きな注目を集めてきたなか、今回の実証は法人間取引という新しい切り口を提示しています。
B2BとB2Cでは難しさの質が異なる
エージェンティックコマースとは、AIエージェントが人間に代わって商品の検索・比較・購入・決済までを自律的に担うコマースの形です。これまで報じられてきた事例の多くは、個人消費者がAIに買い物を任せる消費者向けのものでした。
B2Bの購買は、消費者の買い物とは構造が大きく異なります。法人の調達では、サプライヤーの探索、見積もりの比較、契約条件の交渉、発注書の発行、納品の追跡といった工程が積み重なります。発注書は、交渉済みの契約や承認済みベンダー、価格表、納期条件、税務処理、社内のコストセンターを参照する複雑な文書です。
承認フローも一筋縄ではいきません。購買対象のカテゴリーによって必要な決裁者が変わり、ソフトウェア購入にはIT部門のセキュリティレビュー、法務サービスには法務部門の承認が求められることもあります。さらに、与信枠や支払いサイト、決済のスピードといった財務面の条件が、購買の意思決定そのものに組み込まれている点も特徴です。
B2Bでは決済が単なる支払いではなく、調達・与信・請求が絡み合う最終工程として位置づけられます。AIエージェントが代行するには、価格だけでなく、その取引をどう資金化し、どう照合し、どう報告するかまでを理解する必要があります。今回の実証が「管理・透明性・リスク制御」を繰り返し強調するのは、この複雑さに正面から向き合う必要があるからです。
皮肉なことに、AIエージェントによる買い物は本来こうしたB2B的な手順に近いものです。消費者向けのショッピングエージェントも、決済に至る前に在庫の確認や配送条件の比較、返品ポリシーの検証など、多くの判断を機械的に積み重ねています。エージェンティックコマースは、購買を「人間が即断する行為」から「機械が評価を重ねた末の最終決済」へと変えていきます。長く積み上げられてきたB2Bの購買様式と、構造的に親和性が高いのです。
Mastercard Agent Payが支える決済の仕組み
今回の決済基盤となったのが、Mastercardが2025年4月に発表したMastercard Agent Payです。検証済みのAIエージェントが、消費者や企業に代わって取引を実行するための枠組みとして設計されています。
中核を担うのが「Agentic Token」です。トークン化されたカード資格情報を、特定のエージェント、特定の加盟店の範囲、特定の同意ポリシーに結びつける仕組みです。これにより、カード番号そのものを露出させることなく、決済を完了できます。各エージェントは事前に登録・検証され、固有のトークンで識別されるため、すべての取引がトレース可能な状態で処理されます。
Mastercardは、このAgentic Tokenが日常の買い物にとどまらず、企業の調達や国境をまたぐ支払い条件の最適化まで、あらゆる取引を自動化し保護できると説明しています。今回の実証では、トークン化された決済に加えて、加盟店の発見やリファラルの機能も活用されました。技術基盤の提供を担ったJuspayは、HSBCとのDigital Merchant Servicesパートナーシップを拡張する形で参画しています。
なおMastercardは2026年3月、DBSとUOBとともにシンガポールで初のライブ・エージェンティック決済を完了したばかりです。AIエージェントがチャンギ空港への配車を予約・決済する消費者向けの事例でした。今回のB2B実証は、その同じAgent Payの枠組みを法人取引へと広げた動きと位置づけられます。
ASEAN市場の成長が背景にある
今回の試験運用は、東南アジア市場の急速な拡大を背景にしています。HSBCとGoogle Cloudは、ASEANのデジタルコマース取引額が2025年の1,750億ドルから2030年には5,800億ドルへ拡大すると予測しています。5年で3倍を超える成長の見込みです。
この成長予測が、B2Bエージェンティック決済への取り組みを後押ししています。取引量が膨らむほど、調達や決済を人手で処理する負荷は重くなります。AIエージェントによる自動化は、拡大する市場で取引を効率的にさばくための現実的な手段になり得ます。
HSBCは並行して、企業顧客向けの取り組みも進めています。Digital Merchant Servicesをインドとシンガポールに拡大したほか、シンガポールでは法人顧客向けのモバイル仮想カードを2026年6月末から提供する予定です。今回のB2B実証は、こうした法人向けデジタル決済の整備という大きな流れのなかに位置づけられます。
Mastercardが支え、HSBCが届けるエージェンティックコマースは、複雑さに正面から対処し、構成要素が整いつつあることを示しています
EC・調達事業者への示唆
今回の実証は、EC事業者や調達に関わる企業にとっても見過ごせない動きです。AIエージェントが法人取引で発注・決済を担う流れが現実になれば、サプライヤー側にも対応が求められます。
供給する側の事業者は、人間の担当者ではなくAIエージェントが発注・決済を行う前提で、自社の取引フローを見直す必要が出てきます。商品情報の機械可読性、価格や在庫の正確な提示、承認や与信に対応する仕組みが、取引の前提条件になっていきます。今回の取引にFortyTwoのようなEC事業者が組み込まれていた点は、供給側にもこの変化が及ぶことを示しています。
調達側にとっては、複雑な承認フローや与信管理をエージェントにどこまで委ねるかが論点になります。管理と透明性を保ちながら自動化を進める設計が、導入の鍵を握ります。エージェンティックコマースの議論は消費者向けが先行してきましたが、取引規模の大きいB2Bでこそ、自動化の効果は大きくなります。法人間取引は、エージェンティックコマースの次の主戦場として浮上しています。
なお、B2B調達におけるエージェンティックコマースの全体像は、別記事「B2B×エージェンティックコマース ── 調達と仕入れ交渉の最前線」でも詳しく解説しています。
まとめ
HSBCとMastercard、JuspayによるシンガポールでのB2Bエージェンティック決済の実証は、消費者向けに続く新しい切り口を示しました。法人バイヤー、SourceSage、FortyTwoを結ぶ取引で、AIエージェントが発注から決済までを自律的に実行しています。
B2Bの購買は、承認フローや与信、請求が複雑に絡む点で消費者向けとは構造が異なります。だからこそ、管理・透明性・リスク制御を組み込んだ決済基盤の整備が前提になります。Mastercard Agent PayのAgentic Tokenは、その基盤を支える技術です。
ASEANのデジタルコマースが2030年に5,800億ドルへ拡大すると予測されるなか、取引規模の大きいB2Bでの自動化は大きな意味を持ちます。EC・調達事業者は、AIエージェントが取引主体となる前提で、自社の体制を見直す段階に入りつつあります。





