この記事のポイント
- AIソフトウェア企業Glanceが、米国のSamsungスマートテレビにエージェンティックコマース機能を導入し、視聴者が音声やリモコンで商品を発見し購入まで完結できるようになった
- テレビという待機時間の長い大画面が「新しい購買サーフェス」として立ち上がり、検索ではなくインスピレーションを起点にした自律的な買い物体験が広がりつつある
- EC事業者にとっては、スマホやWebに加えてリビングルームの画面も商品が発見される接点となり、AIエージェントに組み込まれる商品データ設計が新たな課題になる
テレビでエージェンティックコマースが始まった

A partnership between the electronics giant and AI software company Glance could change the way you interact with your television.
www.fastcompany.com2026年6月23日、Samsungが米国のスマートテレビ全体にエージェンティックコマース体験を展開すると発表しました。実装を担うのは、InMobi傘下のAIソフトウェア企業Glanceです。GlanceのAIプラットフォームがSamsung独自のOSであるTizen上で動作し、テレビでのAI主導の買い物を可能にします。
ここで言う「エージェンティックコマース」とは、AIエージェントが利用者に代わって商品を探し、選び、購入までのプロセスを補助する買い物のあり方を指します。これまではスマートフォンのアプリやECサイトで起きていたこの体験が、リビングルームの大画面へと移ってきました。
Samsungのテレビを持つ利用者は、音声コマンドまたはリモコンを使って、パーソナルな買い物リストの作成、商品の探索、そして購入そのものまでをテレビ上で行えるようになります。Fast Companyの記事によれば、この体験はSamsungの2020年モデル以降のテレビと互換性があり、米国のかなり広い設置台数をカバーします。
Glanceとはどんな会社か
Glanceの名前を初めて目にする読者も少なくないはずです。Glanceは、InMobiの非連結子会社という位置づけのAI企業で、Google、Jio Platforms、Mithril Capitalから出資を受けています。もともとはスマートフォンのロック画面に、ニュースやエンタメ、商品レコメンドを自動で表示する「アイドル画面」の体験で知られてきました。
転機となったのが、2025年5月に発表されたAIネイティブのコマースプラットフォーム「Glance AI」です。利用者が自撮り写真やギャラリーの画像をアップロードすると、生成AIがその人の体型や肌の色、好みに合わせたスタイリングを「本人が着ている」かのように描き出します。検索キーワードを打ち込む代わりに、視覚的なインスピレーションから買い物が始まる設計です。
Glance AIは三層のモデルアーキテクチャで構成されています。グローバルな商取引データから学習するCommerce Intelligence Model、性別・体型・肌の色・季節など数千のパラメータでリアルな視覚化を生成するGenAI Experience Model、そして購入意図を読み取り商品とマッチングするTransaction Journey Modelという三段構えです。
技術基盤にはGoogleのGeminiと画像生成モデルのImagenが使われています。米国での初期トライアルでは、ローンチ後数週間で150万人を超えるアクティブユーザーを集め、その半数が毎週戻ってくると報告されています。Glance自身は、世界で3億人規模の利用者基盤を持つとしています。
スマホからテレビへ ── サーフェスの拡張
GlanceとSamsungの関係は今回が初めてではありません。2025年6月、両社はSamsung Galaxy StoreでGlance AIのショッピング体験を米国展開させています。当初は12機種のGalaxyモデルから段階的に開始し、30日以内に全機種規模へ広げる計画でした。スマートフォンのロック画面とアプリが最初の舞台だったわけです。
今回のスマートテレビへの展開は、この流れの自然な延長線上にあります。スマホの小さな画面で起きていたインスピレーション主導の買い物を、家族が共有する大画面へと持ち込む試みです。Glanceは以前からConnected TV(ネット接続テレビ)を「家庭内のコマースデバイス」へ変えることを掲げており、Android TVやGoogle TV向けにも同様の体験を提供してきました。Samsung Tizenへの対応で、その射程が一段と広がった形です。
決済の仕組みについては、Glance AIがGoogleのエージェンティックチェックアウトと連携し、米国ではGoogle Payでの支払いに対応していると報じられています。テレビ上で気になった商品を見つけてから購入を確定するまでの摩擦を、Transaction Journey Modelと呼ばれる取引エージェントが極力減らす設計です。連携ブランドは米国を中心に400社を超えるとされています。
テレビという購買サーフェスの特殊性
なぜテレビが新しい買い物の場として注目されるのでしょうか。理由のひとつは、テレビが「待機している時間」が長いデバイスだという点にあります。Glanceの設計思想では、アイドル状態の画面こそパーソナライズされたコンテンツや商品を提示する好機です。スマホでロック画面を価値ある接点に変えたのと同じ発想を、テレビの待機画面に適用しています。
もうひとつの特殊性は、操作のインターフェースです。テレビにはキーボードもタッチパネルもありません。だからこそ音声コマンドとリモコンが操作の主役になります。「これに合う靴を探して」と話しかけたり、リモコンで気になった商品を選んだりする体験は、スマホのタップ操作とは異なる買い物の文法を生み出します。
下の表は、Glanceが手がけてきた三つの購買サーフェスを整理したものです。発見の起点と操作方法がそれぞれ異なる点に注目してください。
| 購買サーフェス | 操作の主役 | 発見の起点 | 決済の流れ |
|---|---|---|---|
| スマホアプリ・ECサイト | 指でのタップ・検索 | キーワード検索・閲覧履歴 | アプリ内カート・各社決済 |
| ロック画面(Glance従来) | ロック画面のスワイプ | アイドル時の自動レコメンド | ワンタップ購入・Google決済 |
| スマートTV(今回) | 音声コマンド・リモコン | 視聴中・待機画面のレコメンド | TV上で買い物リスト〜購入 |
テレビの体験で重要なのは、アプリを開いたりWebサイトを訪れたりする必要がない点です。Glanceは、コンテンツの発見から商品の閲覧までが画面上でシームレスに起きるアンビエント(環境的)な体験を志向しています。視聴者が能動的に「買い物をしよう」と決意する前に、画面側から商品との出会いが差し出される構図です。
GlanceとSamsungの狙い
Samsungにとってこの取り組みは、テレビを「観るためのデバイス」から「使うためのプラットフォーム」へと変える戦略の一部です。同社は2025年に、画面体験をパーソナライズするVision AIを発表しており、今回のGlance連携はそこにコマースという収益機会を加える動きと読めます。ハードウェアの販売だけでなく、テレビ上で生まれる取引からの継続的な収益が視野に入ります。
Glance CEOのNaveen Tewari氏は、Glance AIの体験を次のように表現しています。
消費者は、何が可能かを視覚化し、そしてワンタップでそれを手に入れることができます。
Glanceの狙いは明確です。スマホのロック画面、Galaxy Store、そしてスマートテレビと、人々の生活の中にある「画面」を次々とコマースの入口に変えていくことです。検索エンジンやECサイトに利用者が来るのを待つのではなく、生活の中で目に触れる画面の側から商品との出会いを設計する。この発想が、複数のサーフェスを横断する拡張戦略の根底にあります。
EC事業者への示唆
リビングルームの画面が買い物の場になるという変化は、EC事業者にとって何を意味するのでしょうか。
第一に、商品が発見される接点がスマホやWebの外側へ広がっているという事実です。これまで自社サイトやモール、検索広告に最適化していた商品データが、テレビの待機画面というまったく新しい文脈で提示される可能性が出てきました。どの画面に自社商品が現れるかを、事業者が直接コントロールしにくくなる側面もあります。
第二に、AIエージェントに「選ばれる」ための商品情報設計の重要性です。GlanceのTransaction Journey Modelのような取引エージェントは、数百万のカタログから利用者の意図に最も合う商品をマッチングします。構造化された商品データ、明確な属性情報、リアルタイムの在庫・価格が、AIに発見されるための前提条件になっていきます。
第三に、決済がプラットフォーム側に統合されていく流れです。GoogleのエージェンティックチェックアウトやGoogle Payがテレビ上の購入を支えるように、購買体験の最終工程はますますプラットフォームの決済基盤に依存します。事業者は自社の決済導線を守るのか、プラットフォームの決済に乗るのかという選択を迫られます。
旅行予約や小売の領域で進んできたエージェンティックコマースの波は、いまテレビという身近なデバイスにも届きました。購買サーフェスが増えるほど、どの接点でも一貫して発見・購入される商品体験をどう設計するかが、競争の分かれ目になります。
まとめ
GlanceとSamsungの連携は、エージェンティックコマースがスマホやWebを越えて生活空間の画面へ広がる象徴的な一歩です。音声とリモコンで操作するテレビは、検索ではなくインスピレーションを起点とする買い物の文法を持ち込みます。InMobi傘下のGlanceは、ロック画面からGalaxy Store、そしてスマートテレビへと、人々が日常的に目にする画面を次々とコマースの入口へ変えてきました。EC事業者にとっては、商品が発見される接点が増え続ける時代に、AIエージェントから一貫して選ばれる商品データと決済設計をどう整えるかが、これからの問いになります。




